宇沢弘文さんの社会的共通資本について聞いていて、思ったこと。
社会的共通資本とは、森林や大地などの自然や、道路や水道などの社会インフラ、文化など、今まで費用としてカウントしていなかったもの。(動画では8分〜)
オードリー・タンさんなどは「GDPが伸びないけど豊かな暮らし」を提案していましたよね。GDPが伸びているけど、社会的共通資本が壊された暮らしを辞めることだと思います。
上記の議論を聞いていて思ったことは、人間の身体やコミュニケーションはどうなるの?と。同様に壊されてきたじゃないか。カウントされていないじゃないか。
上記8分〜の項目に、
・自然
・社会インフラ
・制度資本(教育、文化、ジャーナリズム)
・人間の身体
・コミュニケーション
と入れる感じでしょうか。同じくくりに入れていいかはわからないですが・・・。
人間の身体を守るもととして医療があって、その医療へ社会保障として投資されているので、それがいくらだ?という計算はされているかもしれません。しかし、そもそもなぜそれを必要とする人間がたくさん生まれているのか。社会的共通資本が失われることと同様に人間の身体が破壊されてきたじゃないか、という最初の根本のところが全然計算に入っていない。
社会的共通資本の喪失と身体の硬直は同時に起こっているものと思います。元々、自然や人間の身体性、文化と人間の元気は切っても切り離せないもののはずですから。
人間と人間のコミュニケーションの破壊も同様です。
双方向性の元気が出るコミュニケーション空間(例えばそれはオープンダイアローグやアートリップなどの空間などがそうだと思いますが)、そうした空間の価値をそもそも計算する気がないように見えます(芸術等を中心として人間と人間がコミュニケーションしている空間自体の価値を計算する気がない。)
自然破壊が計算に入っていないよね?と同じで、人間の身体の破壊、コミュニケーションの破壊などが全然計算に入っていません。