配達してたら、調べているせいか政治家のポスターがよく目に入る。
そういや小学生中学生の頃も、選挙ポスターは何気なく目に入ってイメージは残っているのかも。潜在意識上でそこまで残るもんだとは思えないんだけど。繰り返しの刷り込みによる、と考えていいのだろうか。
得票率が多い地域ほど、ポスター貼りが行き届いているらしい。これは僕は「壊れ窓の理論」を使ったようなものだと思っている。
壊れ窓の理論
1 建物の窓が壊れているのを放置すると、それが「誰も当該地域に対し関心を払っていない」というサインとなり、犯罪を起こしやすい環境を作り出す。
2 ゴミのポイ捨てなどの軽犯罪が起きるようになる。
3 住民のモラルが低下して、地域の振興、安全確保に協力しなくなる。それがさらに環境を悪化させる。
4 凶悪犯罪を含めた犯罪が多発するようになる。
ゴッフマンはこの理論を確か否定していたと思うが、そういう場合もあればそうじゃない場合もある(きちんとゴミを捨てる・汚れを落とす等の細かな対策をすれば犯罪が減る場合もあれば、そうじゃない場合もある。)
得票率の結果が出ている以上、また個人な体験上wも、ポスター貼りは効果があるようだ。地道な、本当に一人一人にかかっている印象。
京都では経済の講演会も時たまやっているので今度見に行く。
最近は責任を2つに分けている。この動画の50秒〜からと同じこと。
ネガティブなニュースを選ぶ理由、社会的責任と自己責任【垂れ流し回】
しくみによるものと、そうでないもの(自己責任)。いくら自己責任論が叫ばれすぎているぞといったところで、当然、どんな場所でも自己責任はある。どっちが必要でどっちかが不必要なのではなく、両方とも両輪のように。
前者は経済や政治のしくみを知識として知らないといけないし、後者は自分の行動できなさ(等)をRゆらぎしないといけない。どっちにしても意識に上がらないと意味ねーぞ、と。
仮に前者がなければ、なんかあったときに「それはお前のせいだ」となりがちな気がする。両方をバランスよく知る方が、自分にとっても、優しさと厳しさの両輪を回せる。