オンラインアジール作りとヒーリング

認知科学や能力開発を使いつつ、内部表現書き換えやってます。

共感覚による内部表現書き換えを利用した女性起業家応援計画(仮)

例えば○○の集団の中で男女比率が9:1なのは、どう考えても女性差別だ、という意見が出たとする。この職もこの職の場でもそうで、どう考えてもおかしいゾ、と。

現状、女性は差別されていて、ここらへんは正しい。

ここで5:5に合わせる手法が一般的な価値観だと思われるが、果たしてこれが正しいのか?

 

例えばとあるコミュニティにおいて(〜100人規模)、その中にさらに小集団が10個あったとする。

1〜10の集団全て5:5にして(じゃないと差別だもん、という理屈で。)

これで果たして気の質のバランスがとれるか。

 

僕は形にはめるものでは無理がくると思う。「このフォーム学習はダメだから、別のフォーム学習にうつる」ようなもので、結局、形にハマっているという点では同じ。「動けば即、技になる」と植芝盛平さんが言ったが、それを集団でやらないと根本的治癒は難しい。

対処しないという選択はありえない。例えば老いた男性がヒエラルキーの上の方にきて、そいつらがルールを作り、若者や女性が疲弊するというフレームは絶対崩した方がいい。しかし別の形で対処して、そこで無理がくれば、また同様のことが起こりかねない(それでも「このフォームより、このフォームの方がマシだ」ということはあると思うが。)

 

 

気の質が先で(情報が先で)、それを整えていく結果、Aは7:3であり、Bは3:7であり、Cは5:5であり〜というバランスの取られ方になると思う。

 

このベストなバランスを男女比では測れない。形・外形・部分的な情報だけを変えるのは、全身の状態を無視して、腕や脚だけを鍛えるのと同じ。

今後、いかなる策を講じても、「利益は上がったけど、下請けが苦しんでいる」「自分のところの会社はうまくいくが、業界からは妬まれている」「男女比や年齢層という形は変わったけど、思ったより職場の雰囲気が改善しない」などの問題点が残る事例が山ほど出てくるだろう。

 

抽象度の観点からは

・社内全体>部署>一人一人

・全身>腕>上腕、前腕、手

みたいな例え方が可能。

 

ウナに乗るという絶妙なバランスが一人の身体を作るように、集団においても絶妙なバランス感覚が必要になってくる。これを指導できるようになりたい。

 

 

共感覚による内部表現書き換えを利用した女性起業家応援計画みたいな(なげぇ)

 

 

・資本主義の雰囲気

・ワントップの感じ

・トップの重心がつんのめっている

・サイコパス

あたりはどうしても好きになれないので、俺が別の案をぶち上げる。「成功するためには↑の要素を取り入れないと」という価値観が上にいく側にある、これもまた洗脳。

「〜はしょうがないじゃないか」としてガンガン突き進むことに資本主義の匂いを感じるし、環境サイドが社長の重心の位置を前に出している。サイコパスが成功するというより、サイコパス性を強いられているというのかな。

 

集団においても「要素主義→全体主義」の移行が必須。