これからは、これまでの足の速くなり方を全て捨てて方法論を考えていく。物理をどう動かすか(フォーム的な概念)を一切消して、どうやって上達するかを考えてみたい。
例えば
Yamaha R1 300km/h Freeride ヤマハ (Vollaweck.com)
のような動画の速度感覚と、自分が走っている(だろう)状態と貼り付ける実験をしている。「だろう」としているのはイメージは適当にしておいた方がいいから、という理由(自律訓練法で腕が重い脚が重いといったらそうなるように、方向付けだけシンプルにしておく感じ)
催眠状態に落として。映像から触覚を生み出すようなイメージ。
ジョーダンのようなフルクラムシフト系の動きをみまくるのもいいけど、しかし題材が少なすぎる。動物の柔らかな動き。スライム、水銀などのイメージに近いものなどでも足りず、題材がもっと欲しいところ。
結局、イメージの世界なので、イメージとイメージの貼り付けといえる。例えば今、Youtubeを見ればジョーダンの軸やフルクラムシフトの動き方は誰でもみることができる。今、書いてて思ったけどゲシュタルトは、酸いも甘いも知ったあとに構築されるんじゃないだろうか。柔らかな動きだけみていてもダメなのかも。
走るのが遅いけど、走るのがうまい人もいるだろう(速いのが上手いというのも一つの見方でしかない。)ボルトが一番速いけど、トランスに一番うまく入れているわけではない。ガトリンやグリーンなんかも断然身体は硬い。
自分にとって必要な材料を間違えずに、現在のタイムは無視して、徹底的に入れる、これがおそらく近い。イメージとしたら、皆が普通の能力開発やっている最中、一人だけ写真記憶を目指すイメージで速くなりてぇ。なんかカツーンとヒントになるイメージがあるに違いない。ぶち当たるまで探すしかないね。手法がないなら自分で作るしかない。
稲川先生の動きやシステマの動き、江戸時代の剣術家の動き、中国拳法と気、江戸時代と剣術家の気、催眠と道教の関係、忍者の元ネタ・・・などから考えるに
・中国拳法
・江戸時代の剣術家、武術家
・飛脚と忍者
の身体使いのツールとして用いていたものは、おそらく同様。
ゼロレンジの肩甲骨辺りの理論は支点を作らない、飛脚の股関節や膝足首関節も同様の使い方。支点を使わず、自由にまわす。支点自体を回転させる。あとは回転させる時のイメージ。
多分解剖学がそこまで発達していなかった時代も、感覚的にはわかっていたと思う(とされているだけかも、ここらへんも正直怪しい。表で解剖学が出る以前から、裏では絶対解剖学はあったのかもしれない。)
しかし今一度、書いているだけで非常に面白い。
システマには呼吸法が折り込まれているが、創始者のミカエルさんは軍事関係。稲川先生も軍事関係であり、忍の家系。TVとかで出ている催眠術士(名前忘れた)あと人も、催眠の家系(道教の家系)、情報には必ず元ネタがあり、アレンジされたり劣化したりバージョンアップしたり、いろいろされながら受け継がれている。漫画みたいに。
究極の身体は現代的に解剖学との関係性の中、まとめたものだが、別の使い方も考えたい。その方が絶対にスコトーマが開ける。本の中ではあくまで高岡先生が想定しうる、天才・達人の動きの想定という範疇に止まっている。人間はもっと多様だと思う。
飛脚の速度の出し方は、機械的にみているしね。
フォーム廃する辺りは高岡理論などの重要な点になっているが、結局のところ、ゆる体操にしろフォームを入れ込んで作る体系になっている。甲野さんの研究も非常に面白いが、剣の持ち方(手と手の幅など)をいう辺りは納得できない。初動負荷理論などもマシーンにある程度、形が規定される(それがいい面とされているが。)筋トレやウェイトやヨガで身体を形づくるのも、僕は「そりゃズレてるよなぁ」と感じてしまう。
稲川先生や拓さんのやっていることは、こうきたらこう動く、この角度、といったようなフォーム学習ではない。トランス訓練と、肉体にイメージを刷り込む訓練を同時にやっている。前者がうまくいかないと後者のウェイブも一定のところしかスピードがでないのではないか。
僕はイメージ的でいいと思う。イメージでイメージを動かす。そしてそれに臨場感を持つ。イメージでイメージで、そのイメージもまたイメージで。というようなw
でもなんかあれだね。江戸時代の剣術家や中国の拳法家の動きを現代で再現しようとする際に、どうしてもフォーム的になってしまうってのは、実は多くの実践者が抱えてしまう壁なんじゃないかね。
あぁ!既存の手法を捨てるって気持ちいいね。