能力開発において写真記憶が一番「ホントかよ」というレベルの代表的。
一般人でも退行催眠などで深く落とされると、自分の顕在意識ででてこない記憶もスンナリ?でてきます(自分は退行催眠自体はないけど、深トランスには何度もあります。記憶なんて簡単に書き換えられちゃう。)
昔読んだ催眠の本(確かこの本)にも、面白い実験が掲載してありました。
かれはある女性に、心理学の本のあるページを示した。その前に、心理学という主題について、当の本人は何も知ってはいないということを確かめておいた。それから、かれは彼女に深い催眠をかけ、彼女に向かって、彼女は、たった一分間しかながめなかったあのページに触れられている心理学の特殊な部門について講演を行おうとして講壇に立っている人気のある講師であると暗示した。
彼女は、直ちにこの暗示を受け入れ、心理学の例のページに簡単に一瞥をくれただけで、彼女の読んだ事柄について素晴らしい公演を行った。そのページが一言も触れてなかったところに来ると、その分野について彼女は、言を左右にしてはっきりした事は言わなかったがはっきりしたことが書かれているところに来ると、彼女は、それについてかなり念入りな説明を行い、そのページそのものから一語一語引用した。
これは小さな印刷物の1ページを1分間だけながめた後のことである。われわれは自ら同じような実験を行ったことがあるが、全体として同じような結果が出た。
(オカルト入門 P118 より引用)
もう一つ。
一字一字読まないで、斜めに読んでしまうのです。それでいて、こういうことはどの本の何ページに書いてあったとすぐに思い出せるのです。人が本に書いてあったことを話しても、すぐに”ああ、これはあの本の何ページにあった”などと思う。読むのが早いわりには、記憶している。いや記憶ではない、普段は少しも覚えていないのに、思い出すこととつながっているのです。
(P94から引用 体運動の構造 第二巻)
記憶できないわけではなく、脳から引き出せないことが問題。ロザンの宇治原さんが「記憶がうまい人はタンスのが整理できている状態、下手な人はどこのタンスに服が入っているかぐちゃぐちゃな人」みたいな例えをしていましたが・・・。
ストック自体がないわけじゃない(服がないわけではない。)
例えば優位モーダルチャンネルは一般的には視覚の人が多いですが、催眠状態に落とせば昔嗅いだ匂いや味なども鮮明に蘇ってきます。優位モーダルチャンネルは右利き左利きのようなもので、左手が使えないというわけじゃありません(鍛えた方がいい。)
調子がいいときは、「あれ、おもいだせないなぁ」となっていてもふと漫画を読んでいたり、匂いから入ったら蘇ってきたりします。記憶というゲシュタルトから匂いや体感覚などの糸が伸びていて、その糸を一本たぐったら、そこから「それ(記憶)」を呼び出せる感じかなぁと。R。手かがり。
記憶術というと「記憶の宮殿」「ペグ法」などもあります。マジカルナンバーは有名ですが、写真記憶ができる人もマジカルナンバーから外れるわけじゃないと思います。
また同じような気質の問題として「マルチタスクはよくない」といわれていますが、グレインサイズの理論とマルチタスクはダメ!という理論はぶつかる問題ではないと考えます。バックグラウンド処理という観点は一般にはわかりづらいのかもしれません。
昨日のことは誰でも超記憶症候群。
[アンフォゲッタブル]認知科学者苫米地英人が超記憶症候群について語る
記憶法などというから、逆にわかりづらくなる面もあります。おじいちゃんおばあちゃんたち(老化)はナチュラルな記憶力低下ですが、記憶していないのとは少し違うでしょう。
そもそも重要性が高いと記憶できる、低いとできないのだから、記憶術云々の前にやること(何が重要か)を決めた方がよっぽど記憶術になります。歩く記憶術実行者が人間。
読書は結局、文脈を読む能力がなければ自分の重要なところしか見えません。そういう意味で顕在意識上で目的を決めても(決めたと思い込んでも)どうやってもフォトリーディング的になるともいえます。一見、スコトーマ外しのように思えますが、実際のところはスコトーマを強化する読書になっている例。スピードが遅いとしたら、フォトリーディングどころかそれ以下ですけど・・・。