オンラインアジール作りとヒーリング

認知科学や能力開発を使いつつ、内部表現書き換えやってます。

綺麗なお金も汚れたお金もない~スパイクは宝具

お金が汚いとか綺麗とかも文脈によるイメージといえる。汗水流して苦労して稼いだ金と、詐欺で手に入れたお金があったとして、1万円は1万円だろう。

自分が料理作って売ったとする。その利益は1万円。「お客様からもらった大事な1万円」だと思っていようが、飯食った人はどこからどうやって得た金か、知れたもんじゃない。もしかしたら詐欺で手に入れたものかもしれない。お金が綺麗、お金が汚いという抽象的なイメージは非常に勝手なものだが、こうした汚れ・聖者として崇めるというのは物に対しても人に対しても普遍的に行われている。

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気(情報)であり、情報操作=気の操作。文脈操作であり、イメージの操作といえる。そういう意味で小説家は優れた変性意識の書き換え手である。

「イメージ操作?じゃあ適当に念じておけばOKネ」といったイメージトレーニングの延長線上に密教のトレーニングはないだろう。宝具を使って臨場感を徹底的にあげたり、お高そうな(”日常的ではない空間””自分では買えそうにないものが並んだ場所”)などを利用すればするほど、変性意識に入りやすくなる。いわば日常から乖離する感覚が欲しいわけだ。千日回峰行や木村政彦さんの気違い染みた練習量は、これが狙いで、「体育会系」のただのオーバーワークとも違うと思われる(一見同じだが。)

 

「悟り」や「覚醒」とかいうワードはスピ系でもよく出てくるワードだが、イメージがいいのかもしれない(適当)

綺麗だ、美しいなどの感想は、例えば美術品や山々や綺麗な景色を見たとき、感動したときに起こりやすい。ダヴィンチの作品にしろミケランジェロの作品にしろ「ウットリ」(など)させて、感動させている。ガウディなんかはよくわからないが、Rは揺らいでいるのかもしれない。彼らの情報空間に何かしら文法はある。

本質的には汚れているも何もないというのは割と簡単、上も下もないよ、とかいうのも簡単だが

www.naganos.net

の記事で書いたように、やっぱりぶっ飛んでいるのがいい。

 

というわけで最近は自分にとって高価(付加価値)がついたものは徹底的に大事にしている。

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