「スマブラやっているとき、本当性格変わるよね」
「恋愛しているときは、性格変わるよね」
は大体同じ意味。
日本語でもフランス語でも言語。
数学であれプログラミングであれ、これも言語。
もう少し抽象度上げて「競技」や「人」も入れてみたい。
競技。例えば競技かるたというのは、その競技かるたというルールに則って行うが、これも一つの言語として捉える。野球であれサッカーであれ同じ。やる側からしたら、ある種の演算であると。
人。Aさんと話しているときの自分、Bさんと話しているときの自分、Cさんと話しているときの自分、実は全員別人。一つのゲシュタルトに、また複数のゲシュタルトがあるといったのが多重人格だ。これは僕らも同様で、個々の人格の強度が弱くても(臨場感が低くても)Aさんというプログラム、Bさんというプログラムがある、と捉えることができる。相手が変われば自分も変わっている。
日本語を使うときにはこの人格。
英語を話しているときにはこの人格。
サッカーをしているときには、この人格。
Bさんと話しているときには、この人格
というわけで、多言語習得(いわゆる言語ではなく、広い意味での言語習得)は、内部表現書き換えに大きく役立ちそうという話。サッカーや野球などの競技は「その競技を通して、新しい発見していくための装置」ともいえる。
最近、今の俺の人格でも対処できるものから選んでやっている感じがある。新しいことをやっているけど無意識の内にコンフォートゾーン下にいる。本当は逆で、今の人格で対処できないものをやる感じがいいんだろうな、ということに気づいてきた。