元々、副業で始めたウーバーイーツが3年ほど続いています。あるとき「これまでウーバー配達で面白かった・楽しかったことを書き出してみよう!」とやってみました。
・あるお客さんに「紅生姜を10個欲しい」と言われ店に取りに帰ったこと
・こちらのミスで再配達(30分以上の遅延)したのに、きっちり謝ったら、怒るどころかこちらを労ってくれたおっちゃん。
・弁当の個数が足りなくて客ブチギレ→必死で謝りきっちり対応してことなきを得た。
etc..
あれ?、不思議なことにほとんど「面倒ごと」が並んでる。。。
もっと「汗をかいて楽しかった!」みたいなのが並んでいるはずなのに・・・(もちろんそれもあるし、件数追うのも楽しかったけど。)個別のケースを見ると「面倒臭いけどキチンとコミュニケーションをとれたとき」に対して快感を感じていたようです。
ウーバーイーツ配達は、自分とお客さん・店と自分との間に適度な距離感がありますが、そのドライさが、面倒ごとを受け入れる精神的スペースを作ったようです。
ただなんで面倒ごとが「楽しかった」とまで認識されているのか?、自分でもわかりません。
東京で夏場やったたこ焼き屋のバイトや、昔の居酒屋のバイトをやっているときには、自分が「命令されている」、規則に「縛られている」といった体感が残っていました。4、5時間働くだけで神経がピリピリになってヘトヘトになるんです。
ですから本能的にも意識的にも避けてきましたし、それが間違いではなかった思っています。しかしどうやら1周グルッと回って(?)、面倒なコミュニケーションをとったときの方が楽しいんじゃないか?と今は感じています。
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