オンラインアジール作りとヒーリング

認知科学や能力開発を使いつつ、内部表現書き換えやってます。

【駄文】衆院選、終了。

疲れた。

 

ドッと疲れました。

 

この疲労はなんなんだろう。

 

投票が初めて、というわけではなかったけど、初めて真剣に向き合って行った選挙です。以下、話があっちこっちいく駄文失礼。

 

今回の選挙ではボランティアに数回参加しました。「あ、この人前にも見たな」という人に出会ったり、「れいわ」の活動がどれだけ無償ボランティアに支えられているかがわかりました。個人献金と無償ボランティア。ネット上でもできるボランティアにも参加しました。

そしてドッと疲れた。ボランティアで疲れているわけではないんですよ。選挙を含めた人間の活動というか、全体的の話です。

 

結果は3議席は良かったものの。維新が大幅増と、社会の閉塞感はもっと増しているように思います。

 

この状況を誰かが助けてくれるのでしょうか?

政府が悪くて政府が変われば自分が変わる。それは間違っていると思います。誰かすごいやつが現れて、その人間が総理大臣になれば日本は今よりは良くなる。これも間違っていると思います。

街頭演説で「れいわは演説だけじゃなくてもっと別の面白い策を考えた方がいい」と言った人がいました。でも代案は中々出せない。代案を出せない上に、もっとこうした方がいいとは言う。

どこかで他人任せがが透けて見えます。過労死をなくそうとしてる政党に対して、そこまで求めていたら太郎さんが過労死します。

 

なら自分はどうなんでしょう。ちょっとボランティアに参加しただけで疲労します。意見はあるけどうまく周りの人間にすらコミュニケーションがとれません。政策の概要は話せても、詳しくと言われると話せません。選挙システム自体ザックリとして知りません。

実は少しも行動を起こせていない。そしてそれを無意識下で自分は気づいています。本気になってない。

 

苦しい。政策が通らないことが苦しいのではなく、自分が何もできていないのが苦しい。自分の当事者性が取り戻されていないことが苦しい。「選挙に行ったって」という系統の人・冷笑系・現状維持で自民党推し、どこかでそうしたDNAが自分にも流れています。

口で言っている内容ではなく、その人の姿勢自体の話。

全て自分に帰ってきます。もう30。無関心でいたツケ。都知事選で「これまで無関心でいたツケがきていることを痛感している」と仰っていたサラリーマンの方がいました。共感します。

 

冷笑、自己責任、新自由主義に染まった人との会話は、いざ話を聞こうとすると冷静に聞けません。あれだけ自律訓練法や呼吸法だってやってきたのにね。耐えられないんです。

 

でも本当はそれを一人一人がやらないといけない。でないと絶対、勝てない。

 

前々から山本太郎商店という言い方をされたり、演説をしていても彼が演説をやめれば「時間がないから」といって蜘蛛の子を散らすように人が去っていくという事実があります。

今後、僕を含めた全ての人間が当事者性を回復して、独自に動けるか、が鍵だと思います。そりゃあ俺だって街頭演説に変わる一ついいコンテンツがあれば、それが一番だとは思いますけど。コロナに入ってよりやりにくくなっている状況ですから、武器が増えた方がいいのはその通りです。でもそれを支持者側が考えないと何も発展性がない。

 

日本はコミュニケーションが死んでいます。家庭内は分断される。友達同士で分断される。これが日本全国で起こっていて、輪を広げるどころか人と話せない。リツイートはできるけどコミュニケーションはできないんです。

徹底した自己責任論、政治に無関心な態度、障害者差別は彼らのせい、この手のことを自分の近しい人が言うと耐えられません、流石に苦しい。

 

苦しいけど一人ずつやっていくしかありません。

 

書いていて青木さやかさんと母親のエピソードを思い出しました。

 母が亡くなるまでの数カ月は、毎回「何が何でもやるんだ」という決意表明をして東京から名古屋のホスピスに向かっていました。

 いつも名古屋まで車で向かっていたんですけど、車の中で「今日はこの言葉をこれくらいの口調でこう言おう」と繰り返して向かっていました。それこそ芝居のセリフみたいに稽古してそのまま披露する。そうでもしないととても向き合えないというか、全細胞が嫌がっているというか。そんな感じでしたね。

 いくら決意をしても、覚悟を決めても「やっぱりダメだ」と遂行できずに帰ってくる時もありました。苦労して上がった階段から転げ落ちる。そんな感覚を何度も味わいもしました。

母への憎しみと赦し。そこからの青木さやか(中西正男) - 個人 - Yahoo!ニュース

こんな感じでしょうか?汗

 

このままいけばインボイス、もしかしたら消費増税、女性の自殺率増加が止まらない、食料自給率の低さからすると、もっとひもじい生活が待っています。実際は前々からあった議論がそのまま進んでいくです。

大石さんの最近の動画を見ていても、自分が何をしているのか?と考えます。

一人一人が、誰か一人に影響を受けて自分を変えていくしかないんだと思います。

れいわにはそうした学びとしての魅力があります。

 考えてみれば、山本太郎氏の魅力は「学ぶ姿勢」にある。いや、それ以上に、「自分は何も知らない」という自覚こそが、その魅力の本質なのではないだろうか。自分の知らないことを、知らない人に聴いて学ぶという6年間の修行が、今回の数千人を魅了する演説を生み出したのであり、この「学びによる政治」こそが、れいわ新選組の本質であるべきだと考える。

 それゆえ、「何も知らない」という自覚のある若い当事者を発掘し、その成長の姿を人々に見せる、ということが大切だと考える。今回でも、選挙をやったことのある舩後・大西・安冨以外は、完全な選挙の素人であって、その素人が、わずか17日間とはいえ、急激に政治家として成長していった姿が、人々を惹き付ける力を持ったのではないだろうか。この「成長の物語」の中から、山本太郎氏に匹敵し、あるいは凌駕する若い政治家を多数誕生させるなら、多少の時間は掛かるとしても、政権交代を実現することが視野に入ってくる。

 私は、選挙の始まる前に、山本太郎氏に、「れいわ新選組が、若い政治家を守り育てていく機関になってほしい、そのために政党要件を満たすことが必要であり、私は、その捨て石となりたい。そして若い政治家に、私の知識を伝え、ともに学ぶ仕事をしたい」という趣旨のことを申し上げた。そのように、選挙と政治とを成長の場として開く、ということが、「れいわ新選組」を発展させる、提要なのではないか、と考える。

れいわ新選組の本質は「学びによる政治」である

今読むとめちゃくちゃ胸にくる文章です。

 

3議席、嬉しいですよ。休息は必要です。疲労は抜きたい。

でもこの体感や経験は残しておきます。