それまで数えあげている本能によっては説明できないような行動にぶつかると、また新たに本能を一つ追加すればよかった。そして、本能そのものについては、遺伝的、生得的な行動パターンというだけで、それ以上の説明はされないのであった。同様にユングも、個人の現在の環境や過去の経験だけでは説明しにくいような現象にぶつかると、すぐ原型をもち出してくる。マクドゥーガルの本能と同じく、元型にも、神、悪魔、老賢人、太母、アニマ、アニムス、英雄、子ども、トリックスター、ペルソナ、影、出産、再生、死、曼荼羅などありとあらゆるものが揃っている。
(続 ものぐさ精神分析 P108から引用)
何か説明できないことがあれば本能、何か説明できないことがあると元型。。。
例えば非常に悩んでいる、今どうしようもない苦しみを抱えている人がいたとする。職場環境や家庭のトラブル、日々の疲れ・身体的症状、全てにおいて絶不調。そして実はその人は親から虐待に近い扱いを受けており、トラウマが残っていた"と専門家から判断されてもおかしくない状態"だったとする。
それはあなたのせいではなく、親のせいだよと言われてから心が途端に楽になって、自分の責任だと思っていたものが、すべて現れるようで、その日から「これもこれもこれも親のせいじゃないか!」という点がボロボロと出てくるようになった。
そうか、これだけ今、仕事で家庭で身体が辛いのは全て過去のトラウマのせいなのか!私のせいじゃなかったのか!
果たしてどうだろう?
上記のような回復ルートを辿る人はいると思われるが、その視点が正しいとも限らない。これと同じように何か説明できないことがあると「未来のゴールが確定していないせいだよ」と機械のように説明したりしないだろうか。「それはトラウマのせいだよ」と機械のように説明していたりしないだろうか。
個人的には一部のフェミニストや「社会に多様性を」と叫ぶやたら攻撃的な人は、ここらへんの問題に思いっきりひっかかっている気がする。社会のせいだの、トラウマのせいだの、(場合によってはきついことかもしれないが)究極は自分で受け止め、自分で癒すしかない。