例えば狂気としか思えない殺人事件があり、犯人の子の過去を色々探ってみると、幼少期から虐待を受けていて~などというエピソードを聞いたときどんな気持ちが生まれますか?
同情心が浮かぶかもしれませんが、「それでも人殺しじゃないか」などの考えが浮かんだり、親は何をしていたんだ?とかもあります。親といっても、父親の方は?母親の方は?という見方。そのまたその親は~と繰り返す視点もあります。
これはどの視点、あるいはどの療法を普段から頼っているか、あるいは自己がどうやって今の自分を築いたかによって見えかたが大きく変わるはずです。トラウマ療法の類でよくなった経験がある方は、それを当然支持するでしょう。
偏っていいわけはなく、2でも書いた通り、これは全部正しいです。
過去→未来、未来→過去、どちらの視点にも立てます。人間関係も同様で、自分→相手、相手→自分、どちらの視点にも立てる。どちらかの視点が絶対に正しいということはありません。海外では靴を履いて部屋の中に入るのが当たり前だったり、どっかの国ではレイプされた女性が処刑されたりといった到底理不尽としか考えられないことまで視点はたくさんあります。
仮に自分の視点を固定していたら「おかしい」「理不尽」としかとれないことが、その国の人の視点に立ったら感覚(情動・見え方など)が変わります。
・親に手紙を出したり、(ロールレタリング)
・目の前に自分を傷つけた人間を椅子に座らせたり、(エンプティアテクニック)
・他者と話しているときの自分を第三者の視点でみる(リフレーミングさせる)
例えばモンスターペアレントの視点に立って学校を見る。教育パパになりきってみる。
こういうのは真面目にならないと、ただの臨場感のない回想なんですけど、自発的に、吟味するようにあげていくとめちゃくちゃ効く。僕は昔から心の中でヴォルデモートみたいなもんがいると例えてきました。
名前を出してはいけない人・・・つまり自分が大嫌いなや怖い人は名前や顔を見るだけで嫌だったり、吐き気がしたりするものですが、それがいる、と。
もちろんこれはアンカーがでてくる危険性があるので、無闇矢鱈とやるものではありません。段階があります(何も全部、暴露療法のようにやれというわけではなく)、
これらのワークで重要なのは正しいとか、正しくないとかどうでもよく、あくまで立ってRゆらぎしてみること。苫米地さんが紹介しているラベリングも一旦情動を置いて抽象度をあげて分類することに意味があります。正しく分類できたかどうかではなく。
ちょっとでもいいから前頭前野を働かすということ。
つい洗脳下にあると正解したかどうかみたいなのが気になっちゃいます(「怒られるアンカー」)。
複数の縁起でみて、Rゆらぎする、ただただ意識にあげていくだけ。ただのスコトーマ外しゲーム。
ある程度やると無批判に「おかしい」と思っている考え方にピリッとRゆらぎが効いてきます。学校教育に疑問を持ち始めたり、TVの発信している情報に疑問を持ち始めるキッカケは、この自分の無批判状態に気づいたときです。