アプリやGoogleの画像検索などで、解剖学を勉強した方がいいか?というと、答えはYESです。手がかりになります。
で、ここで僕は「あまり厳密にやりすぎないように」とアドバイスすることにしています。
例えば骨を触れたり、骨の大きさを確認したり、関節の位置を確認すると、脳のプログラムは実際書き換わります。イメージの書き換えですね。
ジョーダンやイチローさん、全盛期のヒクソンやヒョードルは普通の人より、骨の大きさ、重心の揺らぎを感じ取っていますが、それは潜在意識下の話です。例えば視覚的に、骨の細さがイメージされているわけではありません。顕在意識上に厳密にイメージが出来上がっているかどうかはどうでもいいのです。江戸時代の剣術家や飛脚等が解剖学を視覚的に見ていたわけはないでしょう。そもそもアプリで見たりするのは、歴史的にみたらだいぶ最近になっての手法です。
潜在意識サイドがどれだけ骨の重さや、関節の位置が本来の骨らしさを理解しているかが重要です。
Rゆらぎの定義とは「意識にあげる」ことですから、どこか的確にイメージングしてあげたり、鮮明に骨のイメージを作り上げた方が、うまく改善されていきそうな感じがします。しかしこれは顕在意識上で鮮明に作り上げることがイコール潜在意識上でも深く書き換えがなされる、という場合のみです。
この辺りの議論は
・「アファメーション」で、強く情動を感じつつ唱えるといいよ→全然、変わらない
・「ビジュアライゼーション」で、成功しているイメージを強く描いたらいいよ→ぶっちゃけ大多数は何も変わらない。
という悲しい現象と同様の議論です。言葉であれ視覚であれ触覚であれ同様です。なぜ強く念じても変わらないと思いますか?
現代人にはいつのまにか、強く念じたり深くイメージングした方が、効果が出やすいという根深い信仰のようなものがあります。これも一種の洗脳です。