たとえば、歯痛で苦しんでいる人をみていると自分もなんとなく歯が痛くなってくることがある。これは他者と自分の身体図式が対応しているのである。
この身体図式の間身体性は<理想的調整関係>にとって基盤になるものだが、外科手術においては事情が異なる。湯浅慎一(1986)の表現を借りれば、「破裂した肉を見て吐き気を催していては外科医は務まらない」のである。
(中略)
同型的な同調とは相手に感応して相手と同じ動きをすることであり、たとえばボクシングを見ていて、ひいきのボクサーの動きに合わせて自分の体を動かす、あるいはそれに相応する筋肉の緊張をおこしているケースである。
(身体調整の人間学 P165、166から引用)
TVを見てボクサーに同調して「シュッシュ」と拳を出す。
マイケルジャクソンの音楽を聴きながら踊る(指をトントンでも可。)
TVすらなくても頭の中に鳴っているリズム、頭の中にある視覚映像と同調することだって出来ます。ボクサーやマイケルの例がわかりやすいですが、「つい」自分が勝手に拳を出したり、勝手にリズムを刻んでしまうことってありませんか?
隣の人とホメオスタシス同調するように、自分の頭の中のイメージとホメオスタシス同調するイメージです。「見て学ぶ」「見取り稽古」の可能性。
FWにおいては「1枚の静止画」「コマ」という考え方がキーワードとなっています(ある動きを真似たいとき、コマだけを意識する=顕在意識を切り落として無意識に任せる。)
人間がつい"無意識に"踊ってしまったり、"無意識"に拳を出したりする機能を持っていることは大ヒントでしょう。同じような発想です。