オンラインアジール作りとヒーリング

認知科学や能力開発を使いつつ、内部表現書き換えやってます。

ゾーンは変性意識状態か?~東洋医学も西洋医学も抱きしめていこう。

チクセントミハイのフローの条件は有名だが、ゾーン状態とはなんだろうか。意識状態も速読できる意識状態、記憶しやすい意識状態と一応、分けているがリラックスという点では共通点が見いだせる(実際繰り返してやっていくと感覚がわかってくる。この感覚とは当然、いわゆる感覚=筋感覚を指すものではなく、もうちょっと抽象的なもの。)

スポーツ選手のインタビューや記事を見ていたら、ボールがスローに感じられたとか、場を支配しているようだったとか、ある程度の共通点は見いだせるが、所詮主観といえば主観で、主観が「科学」になんのかよ、という問題点がある。

スポーツの世界では「成長期でもないのに記録がいきなり伸びたり」という、よくわからないような事情も多い。現代の生理学のレベルだけで説明できないことは多々ある。ぶっちゃけ伸びる時期は伸びるし、伸びないときは伸びないのが現状であり本音だろう。100mの福島さんにしろ、改悪の可能性があるのなら、個性だと思って手心を加えずという指導方針の方がうまくいく。それじゃ何もしてないだけじゃないかというツッコミはさておき。走り高跳びの足バタバタ男は2007年以降、メダル圏内にはきていない。


Bahamian Thomas wins high jump gold

 

どこの世界にも「こぞって基本を押し付ける感じ」は存在するが、それが正解かどうかは「暫定」でしかない。ボクシングの世界でナジームハメドのような戦い方が主となるとは考えにくいが、0%かといわれるとやっぱりわからない。いわゆるボクシングの基本は「いつのまにか」できているわけだが、分野全体で大きく間違うということもあるだろう。一時期の日本の陸上で取り入れられたマック式しかり、1冊1冊遅く勉強させる今の教育にしろ。


天才ボクサー:ナジーム・ハメド

 

ストレッチもボブアンダーソンのが輸入して以来、普通に雑誌でもウォーミングアップでも広く使われているがなんで使うか?のキモのキモはわかってない。ウォーミングアップに必要だから、筋肉の温度が、柔軟性が、ととってつけたようにいうが、そういうことじゃなくてね。

美肌関連で、一時期、石鹸や体を洗う歴史を調べたが、ここまで念入りに潔癖性かというくらい体を洗うのは近代しかありえない。「なんで髪や体を泡で洗うんですか?」と聞いても、こっちが笑われる始末だと思う。「そもそも」がさっぱりわからないという問題。

 

何か物を語るときに基準・尺度があるようで、実際、剥いで見たらもぬけの殻であったというのに近い。

 

競技に必要な運動の要素を分解して、

・スタミナ/体力
・柔軟性
・俊敏性/敏捷性
・筋力

それぞれ計測して数値は上がったけど、競技パフォーマンスは上がらないという笑い話もスポーツ界にはいっぱい落ちているだろう。全体主義ってそういうことじゃねーだろう。


アイシングが無意味だというのは表の科学・裏の科学(隠された科学)があるとして後者であるかといわれると?だが、いわば裏の端の方にある一般人はまだ知れるくらいのものだと思われる。


俺はゾーン状態も変性意識状態の一種だと考えている。「エクストリームスポーツ」の本で少し説明があったようだが、ここらへんは議論が2転3転するし、詳しくは僕もよくわからない。究極の身体のデータが足りないのと同じで、データがないし、そもそも取りようがない状態に置かれている人が多い。火事場を「想定」できないし頭に電極?をつけている人間なんておかしい。

そもそも変性意識状態か否か?という質問が変で。何を基準にしている?という話だ。上記の意識状態ってなんぞ?という問題が出てくる。

超人の秘密:エクストリームスポーツとフロー体験

超人の秘密:エクストリームスポーツとフロー体験

 

 
イップスの人に心の問題を出さずに、肘周りの施術ばっかりやったところで根本的には治らないのと同じだ。ダイエットできない人に必要なのは栄養素の勉強ではないだろう。別の視点が必要だし、視点とは、かっちりした尺度。

運動や心だと人間は機械ではないので感覚的なものも多くなってしまうが、ミルトンや野口晴哉などの天才は、自分の中のストック・感覚と照らし合わせて、この人はこうだなと自動処理する。その際、必ず自分なりの尺度はあるはずだ。例えばツボを映像化してもAさんとBさんが映像化するのでは、別の位置に見えるし、ヒーラーAからしたら腹に蟲がいるという風に見えたり、ヒーラーBからしたら黒く固まっているように見えたりする。各々に見え方があるのは各々の情報世界だからそれは正しいわけだが、正直しっくりはこない。

上位の書き換え、相手の体調を見抜くのがうまい人は、かなり相手の体調を真実に近い形で「わかった」ということだろう。で、また真実ってなに?と繰り返されるわけだけど(; ̄ー ̄A アセアセ・・・


松林無雲の川を飛び越えた(だっけか?)の話なんかも、脱力系の無意識全自動運動のように思うが(ある種のプチゾーンともいえるが)現代が目指す筋肉熱気むんむんでのとある意識状態とはズレがあるように感ずる。高岡英夫先生だと、お得意の3ベクトルで説明したりするが(昔の武道の連載でも、モビリティクオリティストラクチャでもいいが、大体似通っている。)ここらへんも正直流派による。

気功でも昔の本を読めば、左にまわすのが正解とあれば、女性はこうだ、男性はこうでなきゃいけない、と著者によって説明が大きく異なる。ツボの映像化なども同様。物理的なものを主として捉える書き換え者(マッサージ指圧等)であれば、関節はここで、ツボはここでと、わかりやすい教科書的なもので捉えるが、抽象度をあげていくとどうしても東洋医学と西洋医学のLUBをとらざるをえないので、必ず壁にぶつかる(東洋思想や西洋思想などとも関わるので哲学なども同様か?)

 

こうした壁は他でも出てくる。

体調を

・玄米だけで改善しよう→

・食事全体を→

・食事全体でもダメだから運動を→

・食事も運動でもダメだから人間全体を

・・・と何枚もの壁がある。

 

病院が嫌いで東洋医学に頼っていい人に当たらず死んでいく例もあれば(芸能人でもあったね)、逆に西洋医学にかかりきって医者に吸い取られる?事例もある。

ここは単に趣味をやめるというレベルではなく、「とある宗教から抜けるぐらいの勇気がいる」・・・のかもしれない。知らんけど。 

womenshealth-jp.com

 

何かしらの基準ができてくるとルール設定がなされるので(大きいor小さくや高いor低い)そこからゲーム的に調べられる面白みが出てくる、食事であれ、関節ゲーム(比喩的、マッサージとか)、お金のゲームであれ、当人の気質体質に合わせて結果がついてくることも多い。ただそのルールの枠内から出ないといけない問題がでてくる。野口晴哉さんの後に続けない、ミルトンエリクソンの後に続けないところをみると、体系化の難しさを感じる。