米俵を担ぐ女性などを例に出したり、江戸時代の身体づかいはある時期から着目され出しました。鉄山先生の動きは現代剣道の「ピシっ」とした感じとは全然違います。
鉄山さんの祖父(黒田泰冶さん)はもっと速く剣が抜けたという話もあり。松林無雲や真里谷円四郎はどういう動きをしていたのか?というと、これまたわかりません。
そもそも明治維新の前なので、洗脳が入っていない立ち方・歩き方です。その前提で刀を腰で抜いたり、走るときに「腹と腰とで歩く」という表現があります。
また脚、足首、膝などの重要性自体が薄く、重要視されていなかった感があります(プライオリティ(重要性)がないので、そもそも記述する必要性がなかったという可能性。)
ところで、武道の「半身」
一見するとガニ股で脚の外側に力入ってそうですが、そういうわけでもなく(ガニ股は床を蹴ってしまいます。)
こう考えると、半身のような感覚が走りの中に要素として入っていた感じもします。また蹴る、蹴らない以外にも共通した感覚がたくさんあると思われます。
「現代の走り」ー「身体を固めて」ー「一直線にして(そういう意識構造を無意識下に作って、それを前提に)」ー「脚を交互に動かしていく」
という図式です。ただこれは、意識状態の結果としてこうなるという話で、この記事の2の部分がそうさせます。僕としてはここが重要で、姿勢を矯正しても結局は、深い部分(潜在意識下)に構造が残っている場合の方が多いと考えています。形だけ真似ても、それは形態模写のようなもので、例えば親の洗脳がとれていない人がコーチング受けて「コーチング受けたからとれているはずだ」というような、アンカーとれた系難民と同じです。
そういえば以前「ウナに乗って、優れていくとみな、◯◯先生(武術家)のような立ち方になるんですか?」と聞いてきたクライアントがいましたが、イチローやマイケルジョーダンもそんな立ち方はしていませんし、武術家自体も、上の黒田鉄山さんや甲野善紀さん、瀬戸さんなどでも姿勢は全然違います。
姿勢は違うのに(分野によって体型=外形が違うのに)ウナに乗っているかどうかでいうと乗っている場合、ここが判別しづらい。「この姿勢だとウナに乗っているだろう」などと腹をくくっていることが多分、ズレです。これと同様のことが走りでも起こっていると思われます。
福島千里さんや
チャップマンも教科書通りとは見えません。
例に出して悪いけど、起業家やビジネスマンなどの多くは立ち方が汚い。
ちなみに歩き方を本質力という人がいますが(自分もそう言っていたけど)間違っていると思います。絶対はない。
「蹴る、蹴らない以外にも共通した感覚がたくさんあると思われる。」と書きましたが、トランスの面は正直、現代では完全にすっぽり抜け落ちて、記述がない状態。おそらく外形や小技的に真似している例がほとんど。これは古武術系の人も正直同じだと思います。
多分、山伏〜忍者〜飛脚、中国の方とかまで遡って分野を比較しないと結論が出ないでしょう。