観念はそういうヒョッとした時に確立してしまう。空想が確立するというが、本当は空想の方向が確立するのです。子供が何かしそこねた時に「しくじったな」と言えばいいのに、「お前はなんて頭が悪いの」という。そうすると「ああそうだ」と思ってしまう。「頭が悪いから試験に落ちたのよ、しっかり勉強なさい」と親は言う。けれどもすでに頭が悪いと方向づけてしまって、だからしっかり勉強しりと意志の努力を強いるのは、人間の心の構造を知らない人である。
人間は自分のごく小さな動作でも、一旦空想に方向付けられてしまうと、意思では訂正できないのです。だから「頭が悪い」と方向づけて、「しっかり勉強しろ」と言うと、親の目を盗んで遊ぶとか、成績が落ちるとか、机に向かうと居眠りばかりするとか、そのうちに勉強が嫌いになると言うようになっていく訳です。
P158から引用 風邪の効用
今までのを総まとめ。
★親子関係改善するには、3で書いたように、”無批判に”受け入れていたものをただ意識にあげることです。
人には無批判に親から受け入れたりしている部分が多分にあるわけです。例えば受験の際、「この勉強が俺のしたいことなんだ」と嘘をついて自分を癒すしかなくなる場合など。で、その上、認知的整合性を計る。これは他人に嘘をつくのと同じ構造で、嘘に嘘を上塗りします。
・「必ずしもそうとはいえないんじゃないか」
・「これは必要なことだったんじゃないか」
絶対的価値観はそもそも存在しませんが、それを絶対的な価値観として君臨させておかないと、自分に自分の嘘がバレちゃう。幼少期の自分に直面しちゃう。なので見ないようにする。「体罰は必要なんだ」とかも同じです。
自分が長年構築した意見を解体されそうになると、怯えて、怖がります。
アンカーとりは深いところまでいくとこうした問題点が出てきます。
トラウマ等からの脱却ってどうすりゃいいのでしょう?
こういう人たちには最終的には自分で立ってもらうことでしょう。ミルトンのエピソードや野口さんの未練症状、苫米地氏のうつ病の方に対しての話も同様ですが、無意識を扱う人は共通して「自分の足で立たせる」重要性を説いています。
糖尿病や結核の人も、体温やら尿の糖分やらを書き付けたグラフをお守りにしているが、そういうものを持っていないと信じられない位、元気になっているのに、そのお守りを見せて「この通りだ」と言うと、病人待遇をして貰える。そうすると今度はその優遇が欲しくなって、治りそうになると又不摂生をすっる。すると医者は嘆く。「もう一息というところで不摂生をした」と。そうではなくて、もう一息で病院でなくなってしまう、それでは彼は困るのである。それを未練症状と言う。
(P87 から引用 病人と看護人)
「気づく」っていうけど、本当にちょっとなんですね。
無批判に受け入れていた部分を気づく。意識にあげる。
自分にない部分をちょっとRゆらぎ、受け入れること。