身体運動だと変性意識や情報身体との絡みを言えるが、政治や経済その他の分野では、これらと関連づけて話すのが今の知識量では難しい。
端的にまとめると政治経済という学問は意識を考慮していない。
今の経済学は行動経済学を見ていると思うが、ほとんど心理学くさい。これも意識っちゃ意識だけど、もっと深い層(気の動き等)は考慮していない。
これはスポーツに脳や心を入れるといっても、せいぜいメンタルトレーニングの流れのことを指している現象と似ている。トランスの深みや情報身体との絡みは実は入っていない。指しているものが別のレイヤー。つまりその抽象度とは違う。
本当に学問的に追求したり、世界を癒すのであれば、俺はそっちが必要だと思う。意識を入れる。
政治に意識を入れる。
経済に意識を入れる。
山本太郎が感情的に話している姿を見て「感情的になって民衆を煽っているだけじゃないか」という風に見る人もいると思う(確かに知識のない人がただ感情的に訴えている姿に胸を打たれて結果的に、民衆自体も間違った方向にいくことも考えられるわけで。)
しかしそれは一面。
・感情的なことは置いておいて、論理的に話してくださいよ
・大衆の意識をおいておいて合理的に政策を打ち出す
これこそが非常に非合理。こういうこと言っといて、片や「空気の研究」などがあるのはどう考えてもおかしい。当たり前だが人間には感情がある。もちろん感情だけで話して論理が足りないのは論外だけど。
非言語コミュニケーションや同調を使って、感情を動かしている。つまりここを考慮してキチンとやるのが理想的。
逆に、この辺りを考慮しない姿勢、これこそが空気の支配によるものであると思う。つまり「人の価値を生産性で測る」「マウンティングする空気」に支配されているといえる。貧困層が支配されているのではなく(見た目上はそうだが)、幼少期からエリート教育を受けた人たちも被害者だと言える(この辺りを論じている安富さんはすごい。)