オンラインアジール作りとヒーリング

認知科学や能力開発を使いつつ、内部表現書き換えやってます。

女性に課されたスティグマ〜バチェラーを10倍楽しむ方法

女はロナウドなんて知らない

例えば女性にマイケルジョーダンと聞いても、「バスケの人」と出ればいいぐらいで、ロナウジーニョとかロナウドとか聞いても、ほとんど知らない。「名前、聞いたことあるくらい。」

 


TGC SPECIAL COLLECTION 1/東京ガールズコレクション2016 AUTUMN/WINTER

こういう映像のキャーキャー感はよくわからん。

 

吉田豪と松村香織 佐倉絆と三上悠亜を語る

(松村香織)だからそこって女の子の観点と男の人の観点の差だなってすごく感じましたね。

(吉田豪)女子が憧れるセクシー女優っていう道がいまはちゃんとあるわけですよね。

(松村香織)そう。だからその職業の内容とかよりも、本当にその子の生活だったりとかメイクだったりとか服装だったりとか。そういうので会いたい、憧れるとか。そういうので女子人気が高いっていうのが、もうモデルさんとかと一緒なので。でもそれって、あんまり男性の方は、まあわかる人はわかるけど、やっぱりわからない人もいるじゃないですか。

こういったものもよくわからないのの一つ。

 

ここ2週間くらい、女性雑誌や、少女漫画などを物色。

「東京タラレバ娘」、「夫のHが嫌だった」や「夫の扶養から抜け出したい」など。

Amazonプライムのバチェラーも閲覧。

 

こういった性や恋愛の話題に熱中する人の気持ちがサッパリわからない。

「理想の女性像」なるものに女性が洗脳されているように見えてしょうがない。

 

女性に課されたスティグマ

女性に課されたスティグマ(烙印、レッテル貼り)を軽くまとめてみる。

1 いい母でないといけない。
2 いい妻でないといけない
3 はやく結婚しないといけない。

「私は母親失格だ」という時に、何を自分を比較して「失格」なのか。

「売れ残り女」も一体どういう表現だと。

 

「母親失格」「妻失格」や「売れ残り」等は、「社会的な烙印(スティグマ)」

簡単にいえばレッテル貼り。例えば「母親失格」と言われたくないから、社会の中でメディア等で作られた「母理想の像」に自分を寄せていく。売れ残りという分類に自分が入るのが怖いから、売れ残らないように自分の行動を変えていく。「勝ち組」なども同様。

東京タラレバ娘(1) (Kissコミックス)

東京タラレバ娘(1) (Kissコミックス)

 

現在3巻まで読んだ。

 

美肌クリームを売っている時に、女性の美容に対するwant toが強いということを実感したけど、今、考えると女性に対する美へのWant toだったのか、Have toだったのか、どちらだったのか?という気もする

例えばバチェラーを見ていても、恋愛したい女性が集まっているのか、上述の3による潜在意識下にある恐怖によって動かされているのか。

 

美人の方が生涯年収が高いというデータを見て、美人の方が得だというのはその通りです。ただし、もっと多面的に見ないと美人の女性の方が得だとは言い切れません。

中野:金銭的得で見るなら、「美人」のほうが得というのは行動学的リサーチでもたくさんのエビデンス(証拠、根拠)があるよね。ただ、損得というのは必ずしも一元的ではない。金銭的報酬・物理的報酬だけが報酬ではないんです。人間としてどう扱われるのか、という社会的報酬、もっとシンプルな感覚的報酬、知的好奇心がみたされる知的報酬もある。

たとえば、失業が人に与えるイメージって収入源を失うことだけじゃないよね。金銭面だけで見れば、生活保護など当面を生きられる手段は何かしらあったりする。むしろ「自分が社会から必要とされていないんだ」というメッセージを受け取ることのほうがその人にとってはつらいという。これが金銭的報酬と社会的報酬の位置づけ。つまり、ある人にとっては社会的報酬の方が上であれば、美人ではないほうが得というケースが生じる。

スー:美人であることばかりが目立つと、それ以外で評価されづらくなるってのは確かにあるな。頑張って獲得したものでも「美人だからでしょ?」と暗に下駄を履いたような言われ方をするとかね。あと、美人であるがゆえに人間扱いされない場面も結構あるか。たとえば合コンで、「今日は美人揃えたよ」と言われたら、出荷直前の在庫と同じ扱いだもん。

美人は本当に「得」なのか? ジェーン・スー×中野信子(ジェーン・スー,中野 信子) | FRaU

 

 

自信満々の女性はどこにもいない

人見知り非モテの自分からすると勝手に「美人は自信満々で」というイメージをもっていたけど、どうやら違うよう。

以前とある場で、女優さんやアイドルにいても遜色のない綺麗な女性が、「男性関係と極端に少なく、このままの人生が怖い、大丈夫か」といった趣旨の内容で本気で悩んでいた(年齢は20代中盤から後半にかけてくらい。)

話す前は、「あぁさぞかしこの人はモテたんだろうな、自信あるんだろうな」と思っていたど、むしろイメージとは正反対に位置する人間だった。

「この人自信ありそう」といっても、外形的なだけを捉えて「パッと見、世間の常識から見たら、自信満々に見える女性像」と比較している。

女性サイドもそういう系統の像(いい母、いい女など)を目指すように洗脳されている。

 

男女を仮想敵前提の社会の方が番組(バチェラー)が盛り上がる

現在の日本のような、ベッキーがガチのテンションで叩かれる空気の方で、バチェラー観るの辛いんじゃないのか?

最初はこう思ってたけど、途中からは「逆なんじゃないか?」と。なんでこの時期に?ではなく、この時期だからこそ、だ。

(というか、あいのりみたいなも昔からやっているし、バチャラーも海外でもやっているらしい。男女を縛る魔術(洗脳)で常に下地ができているので、どの時期にやってもウケるのかもしれない。)

 

個人的には最後の回で「バチェラーじゃなくて婚活パーティ行ったら!」といったとこが一番印象的だった。

どう観ても最初っから最後まで、嘘に塗り固められた豪勢な婚活パーティに見える。

緊張と緩和で笑うだろ、と思う場面で、女性が真剣に泣いていて、僕の感覚もズレてるんだろうけど、女性の感覚もちょっとサッパリわからない。今度から恋愛催眠シミュレーション「バチェラー」とかにしたらいいと思う。実際、社会にそれが行われているから、こういった番組が成り立つわけだし

 

「理想の自分=仮想の自分」は、どっからきているのか?

そもそも美醜の良し悪しや胸の大きさ(胸が大きい方がいい)の価値観すらメディアの影響を多大に受けている。 

 

海外では顔が大きいとはいい意味とは捉えられない。

「顔が小さいのがいいと思ってるのはアジア圏だけ」海外生活中に衝撃だったこと | | COCONUTS

 

「TV見なくなった」とはいえ、かなりの割合がTVを毎日見る。 

www.itmedia.co.jp

 

昔、サブリミナル研究で靴の広告のいい件があったけど、ソースを失念した。靴の先っちょに小さい女性が乗って(靴のつま先にちょこんと女性が乗っている)というデザイン。女性を支配下に置くイメージを植え付けるといった内容だったと思う。

美容からの洗脳脱却が典型的だったけど、抜けるとお金がかからなくなる。洗脳→コントロールという流れにプラスして、洗脳→消費という流れも作っている証じゃん。

 

というわけで、社会は狂ってる(?)

 

 

 


指原莉乃 バチェラー3 モノマネ

疲れたら指原に癒されよ。。。