王向斉は外での鍛錬にこだわっていたらしい(もしかしたら剣聖の誰かだったかも。)
今日は基礎ゆるをちょっとだけ長めにやってみた。
人によって集中できる環境・意識状態を作れる環境は違うし、同じ環境であっても自分にしっくりくるイメージも人によって違う。例えば骨が糸がつられているようなイメージ
バターのように溶けるイメージ。
こういうのがあんまりしっくり来ない人もいると思う。イメージに対してのイメージ。イメージ(映像や言語など)に対してのイメージ(内部表現下の深いレイヤーがイメージに対してどういう印象を持っているか)。
このあたりの差の原因が先天的か後天的か、これもまた微妙なところ。アスペルガー等も先天的か後天的か、境界が難しい。ある用語でラインを定義しても、時代が経つとその用語に対してのイメージは変わる(価値観は変化していく。)
共感覚者も、100人中1人が共感覚で他の99人は共感覚者ではない、ということではない。濃さの問題とすれば、100人中100人が共感覚者という捉え方もできる。
顕在意識上、数字に色がついたりするような処理をしているわけでもないけど、カンが異常に良い(桜井章一さんなど)存在もいるわけで。
結局、無意識に丸投げで「何もイメージが無い」くらいが一番いい。
んじゃ意識にあげるRゆらぎってなんのためにあるんだ?って話になるけどw
最近はぶっちゃけ顕在意識に上ろうが上らまいが、同じじゃねーかと思ってる。
「意識にあげていても意識に上がっていない」という状態はありうるといえる(もちろん逆も)。おそらくここらへんを議論を詰めてないせいで、いろんな齟齬が起きている。まぁ別にいいけど。